生きる上で心掛けること
生きる上で心掛けていることは丁寧に扱うことだ。
たとえばドアを乱暴に閉めるのと、音をたてないようにゆっくりと閉めるのではどちらのほうが良い印象を与えるのか明言する必要はないだろう。
もうひとつの例として、できるだけ足音を立てないようにしている。せかせかする様は見ている者に悪影響を与えかねない。
さらに言えば椅子にドスンと腰掛けるのではなく、静かに座るようにしている。その方が明らかに良い印象を与えると私は考えている。また、足も組まないようにしている。
これらを生涯実践し続けることができれば人生はだいぶ変化するだろう。もし、そうしていないのであれば。
SNS(特にTwitter)がもたらした弊害
TwitterやFacebook、あるいはInstagramなどのSNSが情報の拡散に用いられ、そしてそれが時として炎上するための着火剤ともなる。特にTwitterがもたらした弊害としてあげられるのは「そのツイートのみで判断する者が多い」ということだろう。
利用される方なら理解しているだろうが、Twitterは一度の投稿で最大140字という制限があり、それ以上の投稿をする際はそのツイートに返信する形で繋げるか、あるいは文字を入力したスクリーンショットを添付して投稿するのが一般的だ。
どちらにしても読む側にはそのツイート以外を読む必要が発生し、それをしない者があまりにも多い。また、短文である以上ある程度過激な表現になってしまうことも多々あり、そのため過剰に反応し、延々と粘着をして罵詈雑言を浴びせかけたかと思えば、他の利用者とつるんで違反の報告をして、そのアカウントを利用できなくしてしまうこともある。
SNSを利用する時は待つことが大切だ。自分の投稿がどういう影響を与えるのか、どういう風に思われるのかをせめて10秒は思考してから投稿するべきだし、その10秒すら待てないようなら利用すべきではない。もっともそういう者達が昨今の炎上文化を形成してきたという意味では、反射的に投稿することが役に立たないわけでもないだろう。
また、自分がそうであるようにとあるアカウントの先には最低でもひとり以上の人間が実際に存在しているという初歩的なことを忘れてはならない。自分がされたくないことを他人にしないのはリアルであってもネットであっても普遍の事実であることには変わりない。
できるだけ怒らないようにしている
私はできるだけ怒らないようにしている。それは怒るのは誰にでもできることだからだ。それ故に私はできるだけ怒らないようにしている。
詳細な説明はしない。上記の言葉だけで理解できない時点で私にしてみればどうでもいい存在になるからだ。
最善は怒らなくてもいい状況だが、残念ながらある程度は怒らないといけないような時もあるだろう。同一だと誤認している者があまりにも多いので念のために明記しておくと、怒るのと怒鳴るのは同じではない。
行動が遅いとどうしようもないことになる
行動が遅いとどうしようもないことになることを理解してない者があまりにも多い。悪い噂が蔓延してから行動するのではなく、蔓延しつつある時点で動けば今よりも悪いことにはまずならない。にもかかわらずそうしない。
たとえば飲食業界。キツいとか給料が安いとか、そういう噂が流れ飲食業界=ブラックだと認識されてしまっている。もしも認識される前に状況を改善、もしくは改善しようとする動きがあればきっとブラックだと認識されないで済んだはずだ。
介護や営業などもブラックだと聞いたことがある。実際にそうなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。少なくとも言えるのはそういう表現をしたくなるような人たちがある程度存在していて、その嘆きがネットの海を漂っているということだ。
人手不足でなんたらかんたらと報道されることがあるが、誰しもが働きたいと思う環境にすればそれは解決できる。しかしながらそのための費用や、認知してもらうための時間などは必要となってくる。
今しても遅いかも知れないが、今しなければその遅いを体感することすらできない。どうしようもない状況になってからどうにかするのならば、どうにかできる時にどうにかする方がよっぽどマトモではないだろうか。