Twitterが流行している理由

Twitterが流行している理由はみっつある。

ひとつ目は自分の意見を自分で言わなくていいからだ。Twitterにはリツイートという機能があり、それはあるアカウントのツイートを自分のことをフォローしているアカウントに向けて見せる機能だ。かわいい動物の画像や、奇妙な風景などもあるが一番多いと思われる使い方が『自分の意見に等しい、もしくは近い意見のアカウントのツイートを拡散させること』だ。これにより意見や文句はそのアカウントに向かい、自分は平然と無関係な出来事を気楽につぶやける。

理由のふたつ目としてあげられるのは文字数が制限されていることだ140文字という短い中でいかに上手いつぶやきをするかを競っている面もあり、短いからこそ過激な発言になりかねない面もある。正直に言えば、Twitter論議などする意味はあまりない。なら自分のブログか何かで想いの丈をつづるほうがよっぽどマシだ。

みっつ目としてすぐにできることをあげたい。上記のリツイート等を含めてTwitterはつぶやきなどが即座に行えるデザインになっている。まるで考える暇を与えないかのようにも思えてくるほどだ。その結果、頭で考える前にツイートしてしまうため最近流行の炎上などがよく発生してしまう。これを面白がる輩が存在しているが、それはまあ、また別の問題だろう。

名著

名著というのは読み始めてどうして今まで読まなかったのだろうと憤りを感じ、読み終えてからどうして読んでしまったのだろうと喜ぶものを指すのだと思う。

タバコが嫌いだ

タバコが嫌いだ。正確に言うならタバコの(匂いなどではなく)臭いが嫌いだ。

今日び、喫煙はデメリットの塊であるかのようなことが言われているが別にタバコを吸いたいのなら吸えばいいし、吸いたくなければ吸わなければいい。それは個人の自由で、その結果どうなろうが私は無関係なのでどうでもいいことだ。ただ最低限、臭いを無関係の人にふりまくのはやめてほしい。自分では臭わないと思ってもいても実は……などというパターンは割とある。

歩きスマホをする理由

歩きスマホは危険な行為だと駅のポスターになるほど広まっている。にも関わらず歩きスマホを相変わらずしている人はいる。これはいったいどういうことなのか。熟考した結果ひとつの結論が導き出せた。

歩きスマホをする人は、歩きスマホをしなければ前に進めないのだ、と。

そうでもなければ、怪我どころか転落死するケースすら発生しているのにも関わらず歩きスマホをする理由が思いつかない。

彼らは前に進むために歩きスマホをし、階段をスマートフォンの画面を見ながら器用に昇降し、極端に研ぎ澄まされた感覚を駆使して、歩きスマホしながら他の歩行者を器用に避ける――。上級者ともなればイヤホンをして上記の行動を平然としてみせる。もしかしたら我々人類と歩きスマホをする人類は、似て非なる存在となっているのかもしれない……。

思考を変えてみる

同じものを見る際に自分と他人が必ずしも同じような考えになるとは限らない。グラスに注がれた水が『半分しかない』か、『半分もある』かというのはかなり使いまわされたとはいえわかりやすいたとえだろう。もしある程度訓練することでこれを自分にプラスになるように考えられるようになるとしたら、少しは人生が楽になるかもしれない。

例えば自分が今までしたいと思っていたがしてこなかったことがあり、これを『今までしてこなかった』と考えるのではなく『これからすることができる』と考えるのはどうだろうか。自分にばかり仕事が振られるのを『自分が仕事を断ると思われていない』などと考えるのではなく『自分なら仕事ができると思われている』と考えるのはどうだろうか(とはいえあんまりにもひどいなら転職等考えることを推奨する。あなたが一番に考えなければならないのは間違いなくあなた自身だ)。

決してこのように考えなければならないなどと言うつもりはない。しかし、もし変化したいと思っているならもっとも簡単に、そして誰にもバレることなく変えられるのは体の中のことだ。それがそのまま体そのものの変化に繋がるかもしれない。

みにくい

 句読点が、多い、からか、みにくい文書、ですね。

雨の日

雨の日を好きな人はあまりいないだろう。私も好きではない。しかし、嫌いになる必要はない。何故なら雨の日があるからこそ、晴れの日の太陽の輝きがなお増すからだ。

雨の日を好きになれとは言わない。ただ、これまで以上に晴れの日に喜びを覚えるようにしよう。世界がきっと、もう少しだけ綺麗に見えるに違いない。